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街角評論

   目 次

  緒論
  目次
 

   はじめに

 政治、経済ばかりでなく、あまねく世界のいたるところで変動が起きている。こういったことに関し資本主義の危機まで喧伝することにはいささか戸惑いを覚えるが 世界経済の秩序の一端、その綻びが露呈していると言わざるをえない。パックス・アメリカーナが終焉に向かい、世界が多極化している。
先進資本主義国に高まる右傾化とポプリズムはトランプの米国ばかりでなく世界に遍く散見される。
現代資本主義社会とは金融資本が主導する政治経済社会体制をいうのであって、こういった混乱は当然の帰結と言わざるを得ないのかもしれません。金融資本主義の時代は ある意味錬金術師の散策の歴史でもあります。
 財政政策ばかりでなく各国の中央銀行の金融政策は思慮深さが期待される。それに伴い、ドルの信認に代わり各国の中央銀行の金への接近は拡大される。 益々基軸通貨たるドルの地位を弱める結果となる。
加えて、パンデミックの発生は各国財政の膨張をもたらし一層こういった危機を増幅させた。14世紀に発生したペスト(黒死病) ほどでないにしてもー人口に対し割合的被害の様相ー 各国政策当局に与えた心理的財政的圧力は想像を絶するほどであったろう。パンデミックの発生は不思議に同時発生だ。
 そうは言ってもドルに代わり流動性を担保できる仮想通貨などはまだ早い。信用の裏付けを欠く通貨は通貨たりえないのである。  中央銀行の金への選好と世界の多極化は 更に進展しよう。中国の台頭といった固定観念でなく、南米やインドの時代にもなるだろう。
 こういった事柄に自分なりに頭の整理を、それも経済学的視点より行いたいと思う。そういった意味でこの作業はメモ段階を出ることはない と考える。
 日本経済や世界経済に関し、私は現状分析を試みようとしていますが極めて実証的かつ批判的に行う事を一義的 としたい。経済学の現状分析が、極めて政治的イデオロギーの手段として表出される事象を私には到底面白いとは考えられない。私の作業が 経験科学に基づくとともに社会科学に少なくとも貢献する事を希望する。「現状分析批判」が本稿のもう一つの課題であることをここで強く記したい。